プロローグ



はじめに
 1987年真駒内オープンスタジアムで産声をあげたウエスの野外イベントですが、
13回目の今年、オールナイトコンサートを実施致します。
 10年を期に、[HOKKAIDO ROCK CIRCUIT]から[HASSIN WONDER ROCKET]とタイトルを変え、 時代の流れと共に、こだわりを持ち続けイベントを展開してきました。
感動の涙もあれば、悔しい思いや、疑問もたくさんあります。
ただ、やり続けることを最大の目標とし、成し遂げた結果の集大成が、

[RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO]です。
 
 
[Should we stay?or Should we go?]
〜RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 開催に向けて〜
思えば長かったし、とても遠かった。
しかし、どうしても今そこまで行かなければならない理由は、確かにあった。
日本にどうして本格的な日本のロック・フェスがないのだろうという単純な疑問が全ての始まりだった。 夏になると日本の各地で野外イベントはこれまでも数限りなく開催されてきた。 そして2年前、FUJI ROCK FESTIVAL がついに日本で開催された。 ロック・フェスティバルの現実を嫌というほど味わい、またそこに夢を見た。
[イベント][フェスティバル]とは似ているようであっても、その両者には遥かな理念の隔たりがあった。 いつしか日本のロック・フェスをという夢を見始めていた。
[日本のロック]という響きにはどうしてもかすかな違和感があった。
[ブリティッシュ・ロック][アメリカン・ロック][ジャーマン・ロック]といった言葉に対して、どうしても背筋が伸びきっていない後ろめたい気分が付きまとっているような気がしていた。
そもそもロックという世界の歴史の中で、まさに極東に位置する日本の存在のように、その 日本のロックは孤立し浮いていた。
マーケットとしての立場と送り手の位置が珍しいほどずれていたのだ。
邦楽、洋楽といった意識の距離がそれを象徴している。
しかし、いろいろなバンドやアーティストがあたりまえのように世界で活動するようになってきた。もちろんFUJI ROCK FESの開催もあった。
ロックの地平は一つしか始めからなかったことがようやく見えてきた。
日本の地平は確実に世界のそれと繋がっている。 そう、そこには後ろめたさはすでにない。
だから今年日本のロック・フェスが実現でき、また今年どうしてもやらなければならないのだ
[RISING SUN ROCK FSTIVAL 1999]の会場に決定した北海道の石狩湾新港という場所は 海沿いのただっぴろい雑草だけが生えている何もない大地だ。 水もなければ、電気すら当然ない。恵まれた設備も約束された安全も、もちろん何もない。 おまけに北海道の夜は真夏といってもかなり寒いかもしれない。
しかし、だからこそオールナイトでの開催が実現できたのも事実だ。何もないから、ゼロから手探りで必要なものを作ればいい。 北海道の大自然の中で思う存分日本のロック・フェスを楽しむために。 掟破りの容赦ない現実の前でも立ち向かおう。
そう、日本のロックの未来がどうではなく、結局は全て未来の自分たち一人一人のために。
[ロック][自由]とは、ほとんど同じ香りが漂っている。 そしてまた一人一人の責任がなければそのどちらもありえない。 今年このフェスが実現できたことは奇跡ではない。 そして開催までの残された時間の中で成功を祈る暇もない。
しかし、ただ一つだけ願うとすれば、海に沈んでいく太陽と、遥かかなたの山並みから昇ってくる太陽を、大音量のロックにまみれながら、ボクは見たい。 そしてその現実と事実と真実を一人でも多くの[日本のロック・ファン]と胸をはって体中に刻みたい。


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